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夫の理不尽な嫉妬

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-10-13 07:01:22

「お前、まさか……男がいるのか?」

 ヴィンセントの言葉に、エレノアは思わず目を瞬かせた。

 何を言い出すのかと思えば、あまりにも馬鹿げた疑いだった。

「どうして、そうなるのですか?」

「夫との同衾を拒むなど、ほかに理由があるまい!」

 ヴィンセントは怒りを隠そうともせず、エレノアに詰め寄った。

「結婚したばかりだというのに、もう別の男に心を移したのか!」

「ヴィンセント様。私たちは昨日結婚したばかりですわ」

「だから何だ!」

「昨日結婚したばかりの私が、いつ別の殿方と親しくなる暇があったというのでしょう?」

 ヴィンセントは一瞬、言葉に詰まった。

 だが、すぐに険しい表情を取り戻した。

「結婚前からの知り合いということもあるだろう!」

「まあ。それでは、私が結婚前から不貞を働いていたとおっしゃるの?」

「そうは言っていない!」

「では、何をおっしゃりたいのでしょう」

 エレノアは静かに問い返した。

 前の人生では、ヴィンセントに疑われるたびに必死で弁解したものだ。

 けれど、どれほど身の潔白を訴えても、彼は耳を貸さなかった。

 だから、今度は必要以上に弁解するつもりはなかった。

「お兄様、落ち着いてくださいませ!」

 リリアーナが慌てたようにヴィンセントの腕にすがった。

「私が余計なことを言ってしまったばかりに……。エレノア様、ごめんなさい。私、そんなつもりではなかったの」

 その大きな瞳には、また涙が浮かんでいる。

「ただ、エレノア様があまりにもお兄様を嫌がっていらっしゃるから、もしかしたらと思って……」

「そうね」

 エレノアはうなずいた。

「確かに、私はヴィンセント様と寝室を共にしたくないと思っているわ」

「エレノア様……!」

「けれど、それとほかに好きな方がいるかどうかは、まったく別の話でしょう?」

 リリアーナは困ったように眉を下げた。

「でも、夫婦なのですから……」

「夫婦ならば、必ず寝室を共にしなくてはならないの?」

「それは……」

「では、昨夜ヴィンセント様があなたのお部屋で過ごされたのは、どういうことなのかしら」

 リリアーナの顔が、さっと青ざめた。

「そ、それは、私の具合が悪かったからで……!」

「ええ、存じているわ。責めているわけではないのよ」

 エレノアは穏やかに微笑んだ。

「ただ、夫婦だから寝室を共にしなければならないというのなら、結婚初夜に妻をひとりにしたヴィンセント様は、どうなるのかしらと思っただけ」

「エレノア!」

 ヴィンセントが声を荒らげた。

「リリアーナを責めるのはやめろ!」

「責めておりませんわ」

「屁理屈ばかり並べおって!」

 エレノアは小さく息を吐いた。

 何を言っても、結局はこうなる。

 ヴィンセントはリリアーナを守り、エレノアを責める。

 前の人生と、何ひとつ変わらなかった。

「お話はそれだけでしょうか」

「何?」

「私は少し疲れましたので、休ませていただきたいのです」

「まだ話は終わっていない!」

「ですが、私はもう申し上げることがございませんわ」

 エレノアは立ち上がった。

「リリアーナ様も、どうぞお戻りくださいませ。お身体が弱いのですから、無理をなさらないほうがよろしいでしょう」

「エレノア様……」

 リリアーナは悲しそうにうつむいた。

 だが、エレノアはもう彼女を慰めなかった。

 自分の言葉で傷ついたというのなら、それは彼女自身の問題だ。

 エレノアが引き受ける必要はない。

「待て」

 扉へ向かおうとしたエレノアを、ヴィンセントが呼び止めた。

「今夜は必ず、お前の寝室へ行く」

 その声には、有無を言わせぬ響きがあった。

「妻としての務めを果たすまで、私は引き下がらん」

 エレノアは足を止めた。

 そして、ゆっくりと振り返った。

「……私が嫌だと申し上げても?」

「当然だ。お前は私の妻なのだから」

 その言葉を聞いた瞬間、エレノアの背筋が冷たくなった。

 前の人生でも、そうだった。

 どれほど疲れていても、体調が悪くても、ヴィンセントは妻としての務めを求めた。

 彼にとって、エレノアの意思など関係なかったのだ。

 だからこそ、今度は絶対に許してはならない。

「お断りいたします」

 エレノアは、はっきりと言った。

「私は、あなたの所有物ではございません」

「……何だと?」

「公爵夫人である前に、ひとりの人間ですわ。私の身体をどうするかは、私が決めます」

 ヴィンセントは、信じられないものを見るようにエレノアを見つめた。

 その隣で、リリアーナが不安そうに彼の腕を握りしめている。

「エレノア様……どうしてそんなに頑なになってしまわれたの……?」

 エレノアは答えなかった。

 答える必要など、なかったからだ。

 ただひとつ、わかったことがある。

 この男は、話し合いだけで諦めるような相手ではない。

 今夜までに、何か手を打たなくては。

   ◇

「テオドール」

 自室に戻ったエレノアは、護衛騎士を呼んだ。

「お願いがあるの」

「何でしょうか」

「今夜、私の寝室の前にいてほしいの」

 テオドールは静かにうなずいた。

「承知いたしました」

「……理由を聞かないの?」

「昨夜、お話をうかがいましたから」

 その答えに、エレノアは胸が温かくなるのを感じた。

 ヴィンセントは、妻であるエレノアの言葉を信じようともしない。

 それなのに、テオドールは理由を問い詰めることなく、彼女の意思を尊重してくれる。

「ありがとう」

「ですが、エレノア様」

 テオドールは、少しだけ表情を曇らせた。

「公爵閣下が強くお望みになった場合、私の立場ではお止めできないかもしれません」

「……そうね」

 エレノアも、それは理解していた。

 テオドールはヴァレンティア伯爵家から付き従ってきた護衛騎士だ。

 この屋敷の主人であるヴィンセントに逆らえば、職を失うだけでは済まない可能性もある。

 彼を危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。

「あなたに無理をさせるつもりはないわ」

「ですが、私は……」

「大丈夫よ。別の方法も考えるから」

 エレノアは微笑んだ。

 ただ寝室の扉を守ってもらうだけでは、一年間を乗り切ることなどできない。

 もっと確実な方法が必要だった。

 そして、そのためには――。

「テオドール。明日、実家に手紙を出したいの」

「ヴァレンティア伯爵様に、ですか?」

「ええ。お父様に相談したいことがあるの」

 前の人生では、夫に嫌われることを恐れ、実家に助けを求めることさえしなかった。

 けれど、今度は違う。

 エレノアには、まだ頼れる人がいる。

 そして、守るべきものもある。

「まずは、今夜を乗り切らなくてはね」

 エレノアは窓の外を見つめた。

 夕暮れが近づいている。

 ヴィンセントが寝室を訪れるまで、あと数時間。

 エレノアは、静かに決意を固めた。

 今度こそ、絶対にあの男には触れさせない。

 たとえ、どんな手を使ってでも。

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